2009年12月25日金曜日

五島美術館 ごとうびじゅつかん

東急電鉄の元会長の五島慶太翁(1882~1959)が半生をかけて蒐集した日本及び東洋の古美術品を中心にして、昭和35年に世田谷区上野毛に開館。

コレクションは慶太翁の美術遍歴と一体をなし、古写経の蒐集から始まり禅林の墨跡、茶道具へと移った。


五島美術館のサイトはこちら。

2009年12月18日金曜日

神屋宗湛 かみやそうたん

天文20年(1591)~寛永12年(1635)。

博多の豪商神谷家の6代。

島井宗室と並ぶ博多の門閥家。

秀吉の御用商人となり、しばしば茶事に招かれた。

著に天正14年から慶長18年にわたる茶会記『宗湛日記』がある。

2009年12月11日金曜日

佐々木道誉 ささきどうよ

南北朝から室町初期の武将。

名は高氏で、道誉は法名。

豪放な性格で、和歌・連歌・猿楽・聞香を嗜み、とりわけその盛大な闘茶会で知られ、「バサラ大名」と呼ばれた。

九十九髪茄子・京極文琳などの唐物茶入を愛用し、茶器の目利きにも長じた。

2009年12月4日金曜日

宗旦狐 そうたんぎつね

伝説。

昔、京都相国寺境内に老狐が棲んでいた。
夜寒の頃、千宗旦の姿に化けて近辺の茶人を夜な夜な訪れ、茶を喫し菓子を食べて帰ることがしばしばあり、いつしか誰もがそれを老狐と知りつつ風流を楽しむようになり、宗旦狐と呼んだという。

2009年11月27日金曜日

形物香合 かたものこうごう

製作上「型」で造られている陶磁器の香合。

型作り以外でも同種多作可能な物を同じく形物香合と称する。

唐物では、染付・交趾(*1)・青磁・和蘭(*2)・祥瑞(*3)・宋胡録(*4)など。

和物では、楽・黄瀬戸・織部・志野・伊賀・信楽など。

*1 こうち
*2 おらんだ
*3 しょんずい
*4 すんころく

2009年11月20日金曜日

不見斎石翁 ふけんさいせきおう

裏千家9世。8世又玄斎一燈(*1)の長男。
延享3年〜享和元年(1746-1802)。

天明8年(1788)の京都大火により両千家も被災したが、ただちに復興にかかり、今日庵(*2)・又隠(*3)・寒雲亭(*4)などの茶室を修復再建。

利休二百回忌追善茶会を営む。

*1 ゆうげんさいいっとう
*2 こんにちあん
*3 ゆういん
*4 かんうんてい

2009年11月13日金曜日

口切の茶事 くちきりのちゃじ

茶事の一種。

新茶を葉茶のまま詰茶していた茶壺の口の封印を切り、茶臼で葉茶を挽き、その抹茶を客に点てて出す茶事をいう。

炉開きの時期とほぼ同じ頃に行い、茶家にとっては、お正月の点て初め以上の重事でる。

2009年11月6日金曜日

炉開き ろびらき

冬季に入って初めて炉を用いること。

旧暦10月(現在の11月)の亥の日に開き、小豆餅で祝うのが慣いとなっている。

利休は「柚子の色づくを見て炉を開く」、また、孫の宗旦は「吐く息が白く見えはじめる頃に」などと言った。

2009年10月30日金曜日

茶壺 ちゃつぼ

元来は茶を入れるための壺の総称。

5月に新茶がとれると茶壺に貯蔵密封し、11月の開炉とともに茶壺飾りをして封を切り、口切(*1)の茶事を催すのが習慣であった。

江戸時代には宇治から将軍に茶を献上するための茶壺道中があった。

*1 くちきり

2009年10月23日金曜日

御通茶師 おとおりちゃし

徳川将軍家へ茶を納めた宇治茶師のうち、幕府雑用の茶を納入した茶師のこと。

本能寺の変の時、堺から三河へ帰国する徳川家康の道案内をして無事通過させたことから『御通茶師』の名が付いたという。

江戸期にはに三十前後の家があった。

2009年10月16日金曜日

名残花 なごりばな

盛りを過ぎて散り残った花の総称。

普通、茶花を使うときは開花期よりも少し早めのものが喜ばれるが、盛りを過ぎても咲き残ったものや遅れ咲きのものは、名残花と称して、名残を惜しむ意味で用いることがある。

2009年10月9日金曜日

中置 なかおき

風炉点前の時、風炉を道具畳の中央に置くことをいう。

秋もようやく深まり、朝夕冷気を覚える季節に、客に火気を近づけ、反対に水指を遠ざけ、暖かみを感じさせようという心尽くしの扱いである。

10月初旬から開炉までの季節に行う。

2009年10月2日金曜日

表千家北山会館 おもてせんけきたやまかいかん

表千家茶道を学ぶ方のみならず、広く茶の湯に興味を持つ方々が気軽に茶の湯文化に触れることを目的に 平成6年、京都の洛北の地に開館。

表千家歴代の好み物や季節を感じさせる道具など、家元所蔵の伝来の茶道具を常設展示しています。

*表千家北山会館のHPアドレス

2009年9月25日金曜日

挽家 ひきや

茶器を保存する為の容器の総称。

木の挽物(*1)で出来ているところからの称。

茶入を納める場合、棗形に作られているものが多く、蓋の甲に銘などを金や銀で蒔絵書きしたり、彫りこんだりしてあるものもある。

材質は、黒檀(*2)や紫檀(*3)、竹など多種がある。

*1 ひきもの=ロクロで挽いて作ったもの
*2 こくたん
*3 したん

2009年9月18日金曜日

和三盆 わさんぼん

砂糖の一種で三盆白ともいう。

白砂糖をさらに精製脱色し純白の結晶にしたもので、和菓子に珍重される。

中国より輸入されたものを「唐三盆」といい、享保年間頃から我が国で製したものを「和三盆」という。

香川・徳島両県は特に四国和三盆として名高い。

2009年9月11日金曜日

松屋久政 まつやひさまさ

生年不詳〜慶長3年(1598)。奈良の茶人。

天文年間に『松屋会記』を書き始める。

いくたびか堺を訪れ、紹鴎や利休の茶会に参じ、利休の知遇を受けた。

秀吉の北野大茶会には子の久好(*1)や奈良衆三十六人と参会して『北野大茶会記』を記した。

*1 ひさよし=生年不詳〜寛永10年(1633)

2009年9月4日金曜日

御所丸茶碗 ごしょまるちゃわん

朝鮮茶碗の一種。

御所丸といわれた朝鮮との交易船によって運ばれてきたので、この名が出た。

その意匠は古田織部の手になり、窯は金海で焼かせたという。白釉をかけただけの白茶碗と、さらに黒釉を片身替風に塗った黒刷毛茶碗とがある。

2009年8月28日金曜日

洛中洛外図 らくちゅうらくがいず

京都の洛中(市街)、洛外(郊外)を描いた屏風絵図。

俯瞰(*1)構図で、雲霞(*2)により場面を分節した大画面屏風形式の大作が多い。

室町時代末期より盛んとなる。

美術史上の価値はもちろん、当時の風俗や建築を知る上でも重要な資料である。

*1 ふかん=高い所から見下ろした状態
*2 うんか=雲や霞の模様

2009年8月21日金曜日

馬越化生 まごしけしょう

明治の実業家。本名は恭平。

天保15年(1844)〜昭和8年(1933)。

備中国後月郡の医者の家に生まれ、三井物産の重役を経て、日本麦酒会社を経営し『ビール王』と称された。

茶湯を川上宗順に学び、茶道具の収集家としても知られる。

2009年8月14日金曜日

池田炭 いけだずみ

摂津国(現大阪府)の山中、一庫(*1)・国崎あたりで焼かれた櫟炭(*2)で、切炭としては最上。

産地に因み『一庫炭(*3)』、池田で集散したので『池田炭』と呼ばれる。

また、切り口の形容から『菊炭(*4)』とも呼ぶ。利休時代よりある有名な炭である。

*1 ひとくら
*2 くぬぎずみ
*3 ひとくらずみ
*4 きくずみ

2009年8月7日金曜日

鑑蔵印 かんぞういん

特に書画の収集家が鑑識収蔵の証として、その書画の本紙または表具の部分に捺す印章のこと。

中国では北宋の頃から盛んとなり、日本でも宋元画の渡来で、室町時代から盛んに行われた。

足利義満の天山・道有・善阿の瓢印などが有名。

2009年7月31日金曜日

一行物 いちぎょうもの

茶席での掛物の一種。

古くは「ひとくだりもの」とも称した。

禅語を竪あるいは横に一行に揮毫したもので、竪一行・横一行の別がある。

江戸時代にはいると、大徳寺派の禅僧の筆になる一行物が多く使用されるようになった。

2009年7月24日金曜日

四君子 しくんし

梅・竹・蘭・菊の四種のこと。

梅は寒中に美を養い他に先駆け花開く心意気、竹は不屈の忍耐力と常緑、蘭は清楚な姿と香、菊は気高い趣があり、君子のもつ高潔な資質と見なされ、中国元代より文人画の画題となる。

器物の文様にも採り上げられる。

2009年7月17日金曜日

逾好日記 ゆこうにっき

姫路侯 酒井宗雅(*1)による茶会記 三冊。

姫路城・江戸邸及び旅中の自会記である。

内容は懐石料理にまで及んでいる。

逾好の名は、酒井宗雅の江戸邸の茶室逾好庵からきている。

ちなみに酒井宗雅の弟は画家の酒井抱一(*2)である。

*1 さかいそうが
*2 さかいほういつ

2009年7月10日金曜日

西芳寺 さいほうじ

京都市右京区松尾に在る古刹。

臨済宗西芳寺派本山。

「苔寺」の名で世に知られている。

天平年中に行基(*1)が創建し、弘法大師(*2)の行道も知られる。

のち衰微したが、夢窓国師(*3)が再興した。西芳寺内、湘南亭(*4)に千少庵が隠居したという。

*1 ぎょうき
*2 こうぼうだいし
*3 むそうこくし
*4 しょうなんてい

2009年7月5日日曜日

狩野派 かのうは

足利将軍義政の東山山荘に参仕した狩野正信(*1)を元祖とし、将軍家絵師として発展、桃山から明治時代まで続いた画壇最大の流派。

正信の子の元信(*2)が唐絵を和風化し、それに大和絵の古法を加え、狩野派の典型を確立した。

*1 まさのぶ
*2 もとのぶ

2009年6月26日金曜日

不二山 ふじさん

本阿弥光悦作の楽茶碗。国宝。

その白釉と黒及び鼠色の火変わりの釉景から雪を戴く富士山とみての銘とも、無二の出来という意からの銘ともいう。

光悦の娘が嫁入りの際、振袖裂に包んで持参させたので『振袖茶碗』とも呼ばれた。

2009年6月19日金曜日

物見の石 ものみのいし

露地に配置する飛石の一つ。

普通の石よりも扁平で大振りのものを用いる。

この石から露地の風景や茶室の扁額(*1)などを眺め賞するので、この名がある。

それ故に、別名を「額見の石(*2)」ともいう。

*1 へんがく
*2 がくみのいし

2009年6月12日金曜日

川上不白 かわかみふはく

享保元年〜文化四年(1716-1807)。

不白流開祖。

茶匠を志し、如心斎のもとに参じ、大徳寺大龍和尚に参禅。

25歳の時に七事式の創案に参画、32歳で江戸に住し千家茶道の普及につとめ、一流を許され江戸千家を称した。

2009年6月5日金曜日

本能寺文琳 ほんのうじぶんりん

漢作唐物文琳茶入。大名物。

別名『朝倉文琳』『三日月文琳』。

もと朝倉義景の所持。「三日月」の名は弦月状の釉抜けがあることから名付けられた。

その後織田信長に伝わり、さらに本能寺に寄進されたのでこの名がある。

2009年5月29日金曜日

文琳 ぶんりん

茶入の一種。

文琳は林檎(*1)の異名でその形に似た茶入をいう。

古来、唐物茶入の中で茄子と文琳はその最上位にあるといわれ、特に文琳は黄釉の景色がすぐれ、名物も多い。

伝存する代表的なものに、珠光・本能寺・羽室・筑紫などがある。

*1 りんご

2009年5月22日金曜日

瀬戸十作 せとじゅっさく

天正13年(1585)に古田織部が瀬戸に来て名工十人を選んだという伝説に基づく。

すなわち、元蔵、丈八、友十、六兵衛、佐助、半七、金九郎、治兵衛、八郎次、吉右衛門の十名の工人であるが、異説も多い。

2009年5月15日金曜日

瀬戸六作 せとろくさく

織田信長が永禄6年(1563)に名工六人を選び、その後、窯印も与えたと伝えられる。

加藤宗右衛門(春永)・加藤長十・俊白(一説に宗伯)・新兵衛・加藤市左衛門(春厚)・加藤茂右衛門(徳庵)の六名であるが異説もある。

2009年5月8日金曜日

歌仙絵 かせんえ

藤原公任(*1)によって奈良時代から平安時代の和歌の名手三十六人が選ばれ、歌仙と呼ばれて崇拝されたが、その画像をいう。

これに代表作の歌一首が書き添えられ、上畳(*2)の有無など種々の形式があり、江戸時代まで数多く製作された。

*1 ふじわらきんとう
*2 あげだたみ

2009年5月1日金曜日

古筆家 こひつけ

桃山時代以降、古筆の真偽を鑑定し、筆者を考定する専門の家系。

初代は平沢弥四郎で、のちに古筆了佐(*1)と名乗った。

古筆家は本家、別家ともに歴代「琴山」(*2)の方印と各代の号印を用い、その鑑定は斯界の権威として尊重された。

*1 こひつりょうさ
*2 きんざん

2009年4月24日金曜日

江岑夏書 こうしんげがき

江岑宗左(*1)の覚書。2巻。

『逢源斎夏書(*2)』ともいう。

主として父宗旦の利休茶湯に関する談話を寛文2年(1662)より翌年7月に至る江戸下向の間に記して随流斎宗佐(*3)に与えられたもの。

原本は表千家に残されている。

*1 こうしんそうさ = 表千家4世
*2 ほうげんさいげがき
*3 ずいりゅうさいそうさ = 表千家5世

2009年4月17日金曜日

魚屋茶碗 ととやちゃわん

朝鮮茶碗の一種。斗々屋とも書く。

この名は、利休が魚商の店頭に見出したからとも、また堺の魚商の元締めの納屋衆(*1)が所持していたからなどとも言われる。

全体の作調が粗ではあるが茶陶にふさわしい穏やかな趣に満ちている。

*1 なやしゅう

2009年4月10日金曜日

本阿弥光甫 ほんあみこうほ

慶長6年〜天和2年(1601-82)。

号 空中斎。本阿弥光悦の孫。

家業の刀剣鑑定のほか、織部流の茶の湯・光悦流の書・香道・彫刻・書画・製陶など諸芸に通じ、特に作陶にすぐれる。

晩年、信楽風の土を用いて茶陶を製し、空中信楽と称される。

2009年4月3日金曜日

本阿弥光悦 ほんあみこうえつ

永禄元年〜寛永14年(1558-1637)。

家業のかたわら、書・製陶・蒔絵・彫刻・茶道・絵画・作庭など諸芸に独創的な才能を発揮。

徳川家康より洛北鷹ヶ峰に土地を与えられ、一族や工匠を率いて移住、芸術村を形成する。

2009年3月27日金曜日

賀茂川石 かもがわいし

京都 賀茂川の上流で採取される鉄分を多く含んだ赤褐色の石。

これを細粉したものは古くから黒楽の主要原料として用いられている。

伊羅保釉にもよいとされる。

また、釉薬だけでなく、庭石としても用いられている。

2009年3月20日金曜日

東福門院 とうふくもんいん

慶長12年〜延宝6年(1607-78)。

徳川2代将軍 秀忠の娘。

朝幕の対立関係が強かった中で緩衝の役割を果たす。

千宗旦から紅茶巾や爪紅台子(*1)等の茶道具一式の献上を受け、これに対し自作の縫絵、貝合せの貝桶、硯箱などを賜った。

*1 つまぐれだいす

2009年3月13日金曜日

今焼 いまやき

古製の器に対して新しく焼かれた物を指す。

天正年間には「今ヤキ茶碗」が『宗湛日記』などにみえる。

その後も「今ヤキ」の香合・肩衝・黒茶碗などが見られる。

利休時代に焼かれた楽焼などはその代表的なものといえる。

2009年3月6日金曜日

天命釜 てんみょうがま

『天明釜』とも書く。

下野国佐野庄天命(佐野市)に産する茶の湯釜。

その特徴は、地紋のないものが多く、そのため釜肌に工夫をこらし、荒肌・弾き肌など荒々しい肌が素朴で、侘びた趣をもつ。

鐶付は遠山・鬼面・獅子など多種に及ぶ。

2009年2月27日金曜日

飛来一閑 ひきいっかん

千家十職の一家。

初代は天正6年〜明暦3年(1578-1657)中国より渡来帰化した人で、千宗旦と親交を結び茶を好み、紙の持味を生かした雅味ある塗物を製作し、世にこれを一閑張(*1)と称した。

以後代々一閑張の技法を伝え、現在は16代。

*1 いっかんばり

2009年2月20日金曜日

手燭 てしょく

燈具の一種。利休形は蝋燭立てに長柄をつけた物。

夜咄・暁の茶事などで、迎付の際に主客交換して挨拶に代え、露地では足元や身近の照明とし、亭主は点前中手もとを照らし、客は床や諸道具を拝見するときなどに用いる。

2009年2月13日金曜日

ふすべ茶 ふすべちゃ

野外で松葉などをくすべ、湯を沸かして催す茶事。

「南方録」によると、秀吉が九州征伐の帰途、筑前箱崎(*1)で利休が松の枝に小釜を釣って、茶を点てたのに始まり、『野掛け』とも『柴火(*2)』ともいったとある。

現在では『野点』という。

*1 ちくぜんはこざき = 現在の福岡市箱崎
*2 しばび

2009年2月6日金曜日

蒲団釜 ふとんがま

辻与次郎作の平丸形の釜。名物。

『蒲団釜』の名の由来は、利休が城の天守での茶事が終わって下に降ろすとき蒲団に包んで大事に降ろしたところからとも、形姿が丸い小蒲団を想わすところからともいわれている。

2009年1月30日金曜日

松屋会記 まつやかいき

奈良漆屋源三郎家の久政(*1)・久好(*2)・久重(*3)の三代にわたる茶会記。

整理編集者は久重だが、久重自筆本はすでに散逸している。

奈良衆の僧俗三十六人が参会した「北野大茶会」の記事などもあり、茶道史上貴重な資料となっている。

*1 ひさまさ
*2 ひさよし
*3 ひさしげ

2009年1月23日金曜日

高原焼 たかはらやき

大阪の陶器。

起源は正保年間(1644-8)頃、肥後国(熊本県)高原出身の高原藤兵衛によるとも、高原平三郎の開窯ともいわれる。

片桐石州に推挙されて、高原平兵衛が分かれて江戸に移り、将軍家御茶碗師として御用窯をはじめた。

2009年1月16日金曜日

控石 ひかえいし

露地の中で、主体となる石に添えてその石を補うための石、または景観を添える石をいう。

ほかに、よけ石・捨石・あしらい石などの名がある。

『茶道早合点』に「飛石、ふみ石の外にあるあしらいの石をいう」とある。

2009年1月9日金曜日

手焙 てあぶり

寒い炉の季節に、客のために席中や腰掛待合などに出しておく小形の火鉢。

『手炉(*1)』ともいう。

陶器製のものや風炉師の作になる瓦器、大きめの香炉を転用したもの、塗物に金属の落としを入れたものなどがある。

*1 しゅろ

2009年1月2日金曜日

雪峰 せっぽう

本阿弥光悦作の赤楽茶碗。

重要文化財。光悦七種の一つ。

銘は、白釉のなだれを峰に降り積む雪と見立てたもので、箱書も光悦自筆である。

三井家所持、のちに姫路侯酒井家に入った。

現在は畠山美術館の所蔵。