明治11年ー昭和20年(1878-1945)。
50代で金融界の重鎮となり、政界においても貴族院議員に勅選され、野村財閥の基をなした。
茶湯のみならず能楽・画技をも習熟した。
南禅寺近くに別邸碧雲荘を構え、しばしば茶事を催した。
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2011年12月23日金曜日
2011年12月16日金曜日
2011年12月9日金曜日
本願寺名物 ほんがんじめいぶつ
摂津国石山本願寺に伝来した名物茶道具を指す。
その後は東西両本願寺に踏襲され現在に至るもの、また入札売立により諸家に分蔵された物も少なくない。
「珠光小茄子」「一文字呉器」「白天目」「末松山盆石」などが著名である。
その後は東西両本願寺に踏襲され現在に至るもの、また入札売立により諸家に分蔵された物も少なくない。
「珠光小茄子」「一文字呉器」「白天目」「末松山盆石」などが著名である。
2011年12月2日金曜日
2011年11月25日金曜日
2011年11月11日金曜日
2011年10月28日金曜日
玉室宗珀 ぎょくしつそうはく
元亀3年ー寛永18年(1572-1641)。
大徳寺147世住持。
前田利常の帰依を得て大徳寺の芳春院(*1)を創立しその開山となった。
紫衣事件(*2)に関連して沢庵と共に奥州に配流されたが、後に赦免され帰洛した。
千宗旦を知遇し、利休50回忌の導師を務める。
*1 = ほうしゅんいん
*2 = しえじけん 江戸時代初期に起きた、幕府の朝廷に対する圧迫と統制を示す朝幕間の対立事件。
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大徳寺147世住持。
前田利常の帰依を得て大徳寺の芳春院(*1)を創立しその開山となった。
紫衣事件(*2)に関連して沢庵と共に奥州に配流されたが、後に赦免され帰洛した。
千宗旦を知遇し、利休50回忌の導師を務める。
*1 = ほうしゅんいん
*2 = しえじけん 江戸時代初期に起きた、幕府の朝廷に対する圧迫と統制を示す朝幕間の対立事件。
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2011年10月21日金曜日
秋田諸越 あきたもろこし
秋田の名菓。
藩主佐竹候が臣下の労をねぎらうため、煎米を菓子に作らせたのがはじまり。
米粉、小豆粉に砂糖を加え、角型に押し固め、乾燥させて表面を狐色に焼いている。
諸越とは唐土を意味し、唐菓子の伝統を伝えている。
藩主佐竹候が臣下の労をねぎらうため、煎米を菓子に作らせたのがはじまり。
米粉、小豆粉に砂糖を加え、角型に押し固め、乾燥させて表面を狐色に焼いている。
諸越とは唐土を意味し、唐菓子の伝統を伝えている。
2011年10月14日金曜日
文具飾り ぶんぐかざり
広間の書院窓の前に置く机に文具を飾ることをいう。
硯・墨床・墨・硯屏・筆・筆架・水滴などに料紙を添えて置く。
硯・墨・筆・水滴のみを置く場合は略飾りと称する。
また略法としては硯箱のみを飾る法もある。
硯・墨床・墨・硯屏・筆・筆架・水滴などに料紙を添えて置く。
硯・墨・筆・水滴のみを置く場合は略飾りと称する。
また略法としては硯箱のみを飾る法もある。
2011年10月7日金曜日
降り蹲踞 おりつくばい
地形の下った位置に据えた蹲踞。
飛石を二、三段降って前石に立って手水を使うようになっている。
手水鉢の形状等で、地面を深く大きく掘り下げ、低く手水鉢を据えて面白みを出すこともある。
表千家露地のの点雪堂前に作られたものなどがある。
飛石を二、三段降って前石に立って手水を使うようになっている。
手水鉢の形状等で、地面を深く大きく掘り下げ、低く手水鉢を据えて面白みを出すこともある。
表千家露地のの点雪堂前に作られたものなどがある。
2011年9月30日金曜日
2011年9月23日金曜日
2011年9月16日金曜日
2011年9月9日金曜日
2011年9月2日金曜日
2011年8月26日金曜日
赤星弥之助 あかぼしやのすけ
安政2年~明治37年(1855-1904)。
鹿児島県出身の実業家。
日清戦争に際し大砲鋳造などで巨富を得、茶道具の購入に務めた。
茶湯は裏千家円能斎宗室に学ぶ。
井上世外(*1)の邸宅を買い、たびたび茶事を催した。東山御物などの収蔵品がある。
*1 いのうえせがい =2008.7.28日版
鹿児島県出身の実業家。
日清戦争に際し大砲鋳造などで巨富を得、茶道具の購入に務めた。
茶湯は裏千家円能斎宗室に学ぶ。
井上世外(*1)の邸宅を買い、たびたび茶事を催した。東山御物などの収蔵品がある。
*1 いのうえせがい =2008.7.28日版
2011年8月19日金曜日
2011年8月12日金曜日
2011年8月5日金曜日
寧楽美術館 ねいらくびじゅつかん
神戸の実業家中村準作、準一、準佑の三代にわたって収集した美術品を展示するために、昭和15年に、名園依水園に付属して設立した美術館。
依水園は8千坪からなり、又隠席写の清秀庵、萱葺の氷心亭といわれる茶室もある。
寧楽美術館のサイトはこちら
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依水園は8千坪からなり、又隠席写の清秀庵、萱葺の氷心亭といわれる茶室もある。
寧楽美術館のサイトはこちら
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2011年7月29日金曜日
2011年7月22日金曜日
聖福寺 しょうふくじ
福岡県御供所町に所在する巨刹。
建久6年に将軍源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された。
後鳥羽天皇から日本最初の禅寺であることを意味する「扶桑最初禅窟(*1)」の勅額を賜った。
なお境内に茶を栽植したといわれる。
*1 = ふそうさいしょぜんくつ
建久6年に将軍源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された。
後鳥羽天皇から日本最初の禅寺であることを意味する「扶桑最初禅窟(*1)」の勅額を賜った。
なお境内に茶を栽植したといわれる。
*1 = ふそうさいしょぜんくつ
2011年7月15日金曜日
石州三百ヶ条 せきしゅうさんびゃっかじょう
石州流(*1)茶湯百科全書。
片桐石州が将軍徳川家綱に茶法「三百ヶ条」(三百の条目)を撰述して献呈したという伝承に基づき、その門弟らが相寄って、これに注釈を施して世に出し、茶道石州流の宝典としたものである。
*1 = せきしゅうりゅう (2010年5月14日版)
片桐石州が将軍徳川家綱に茶法「三百ヶ条」(三百の条目)を撰述して献呈したという伝承に基づき、その門弟らが相寄って、これに注釈を施して世に出し、茶道石州流の宝典としたものである。
*1 = せきしゅうりゅう (2010年5月14日版)
2011年7月8日金曜日
坂本周斎 さかもとしゅうさい
京都の糸割符商で、閑事庵・宗信と号した。
茶を山田宗徧に学び、表千家の御道具後見役をつとめて、道具の鑑定と箱書に有名をはせた。
周斎の編纂した名物記は『千家中興名物記』として世に知られている。
《寛文六〜寛延二年》1666〜1749
茶を山田宗徧に学び、表千家の御道具後見役をつとめて、道具の鑑定と箱書に有名をはせた。
周斎の編纂した名物記は『千家中興名物記』として世に知られている。
《寛文六〜寛延二年》1666〜1749
2011年7月1日金曜日
くらわんか茶碗 くらわんかちゃわん
江戸時代、淀川を往来する船に酒食を売った「くらわんか舟」で用いた粗磁器の普段使いの茶碗。
はじめ伊万里焼染付や砥部焼(*1)の下手物などを使っていた。
その素朴な雅味を称揚し、京都の名工もこれを模造した。
*1 とべやき = 愛媛県伊予郡砥部町の磁器。
はじめ伊万里焼染付や砥部焼(*1)の下手物などを使っていた。
その素朴な雅味を称揚し、京都の名工もこれを模造した。
*1 とべやき = 愛媛県伊予郡砥部町の磁器。
2011年6月24日金曜日
2011年6月17日金曜日
田中仙樵 たなかせんしょう
明治8年(1875)〜昭和35年(1960)。茶匠。
今日庵(裏千家)に茶湯を学ぶ。
明治31年、茶道研究機関「大日本茶道学会」を設立し、『茶道学会』を発刊する。
流儀をこえた伝授物の公開の講演を行い、茶道に新風を入れた。
今日庵(裏千家)に茶湯を学ぶ。
明治31年、茶道研究機関「大日本茶道学会」を設立し、『茶道学会』を発刊する。
流儀をこえた伝授物の公開の講演を行い、茶道に新風を入れた。
2011年6月10日金曜日
2011年6月3日金曜日
織部灯籠 おりべどうろう
石灯籠の一種。
織部好みと伝えられる形式で、四角形の火袋を持つ活込み形の灯籠。
台座が省かれ竿が掘立式であるところに特色がある。
古田織部は露地に石灯籠を積極的に採り入れると同時に、露地に適した構造を工夫した。
織部好みと伝えられる形式で、四角形の火袋を持つ活込み形の灯籠。
台座が省かれ竿が掘立式であるところに特色がある。
古田織部は露地に石灯籠を積極的に採り入れると同時に、露地に適した構造を工夫した。
2011年5月27日金曜日
2011年5月20日金曜日
2011年5月13日金曜日
茶壺道中 ちゃつぼどうちゅう
江戸時代、将軍家使用の宇治茶を詰めて御物茶壺を江戸まで運んだ行列道中。
この茶壺運搬の行列は、将軍家・御三家に次いで、大名らを凌ぐ格式の道中とされ、沿道の宿駅や村々の課役は大きかった。
これの恒例制度化は寛永10年(1633)である。
この茶壺運搬の行列は、将軍家・御三家に次いで、大名らを凌ぐ格式の道中とされ、沿道の宿駅や村々の課役は大きかった。
これの恒例制度化は寛永10年(1633)である。
2011年5月6日金曜日
2011年4月29日金曜日
2011年4月22日金曜日
2011年4月15日金曜日
茶屋四郎次郎 ちゃやしろうじろう
江戸時代の京都の豪商。
初代清延は三河時代より徳川家康に近侍し政商として活躍。
以後、代々四郎次郎を世襲。三代清次は朱印船貿易で活躍した。
茶屋家は後藤家・角倉家とともに京都の三長者といわれ、茶道具名物の蒐集でも知られる。
初代清延は三河時代より徳川家康に近侍し政商として活躍。
以後、代々四郎次郎を世襲。三代清次は朱印船貿易で活躍した。
茶屋家は後藤家・角倉家とともに京都の三長者といわれ、茶道具名物の蒐集でも知られる。
2011年4月8日金曜日
淡交会 たんこうかい
社団法人裏千家淡交会の略称。
裏千家の門弟を会員とし、裏千家茶道の基本方針や点前作法を全国的に統一するとともに、その相互親睦を図り、現代に適応する茶人の養成を目的として設立された全国組織。
昭和15年11月に設立。
裏千家の門弟を会員とし、裏千家茶道の基本方針や点前作法を全国的に統一するとともに、その相互親睦を図り、現代に適応する茶人の養成を目的として設立された全国組織。
昭和15年11月に設立。
2011年4月1日金曜日
日本民芸館 にほんみんげいかん
日本各地の民衆的工芸品を収蔵、展観している民芸館。
「民芸」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠として、柳宗悦(*1)らの考えのもとに昭和11年東京都目黒区に開館。
収蔵品は陶磁・染織・木工など多数に及ぶ。
*1 やなぎむねよし= 1889年〜1961年
日本民芸館の公式HP
http://www.mingeikan.or.jp/
「民芸」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠として、柳宗悦(*1)らの考えのもとに昭和11年東京都目黒区に開館。
収蔵品は陶磁・染織・木工など多数に及ぶ。
*1 やなぎむねよし= 1889年〜1961年
日本民芸館の公式HP
http://www.mingeikan.or.jp/
2011年3月25日金曜日
2011年3月18日金曜日
2011年3月4日金曜日
2011年2月25日金曜日
2011年2月18日金曜日
2011年2月11日金曜日
2011年2月4日金曜日
2011年1月28日金曜日
石黒况翁 いしぐろきょうおう
弘化二年(1845)ー昭和十六年(1941)。
医学者。男爵。
軍医総監、貴族院議員、枢密顧問官、日本赤十字社社長を歴任。
遠州流小堀宗本に師事、茶の湯を嗜み、明治・大正・昭和初期の茶道界の長老の一人であった。
医学者。男爵。
軍医総監、貴族院議員、枢密顧問官、日本赤十字社社長を歴任。
遠州流小堀宗本に師事、茶の湯を嗜み、明治・大正・昭和初期の茶道界の長老の一人であった。
2011年1月21日金曜日
茶の十徳 ちゃのじゅっとく
茶の効用を説いた十ヶ条。
明恵上人(*1)が、芦屋釜に十徳を鋳込んだという伝えがある。
諸仏加護、五臓調和、孝養父母、煩悩消除、寿命長遠、睡眠自除、息災延命、天神随身、諸天加護、臨終不乱の十項目。
なお、この十項目には種々の説もある。
*1みょうえしょうにん = (1173-1232)高山寺開創。
明恵上人(*1)が、芦屋釜に十徳を鋳込んだという伝えがある。
諸仏加護、五臓調和、孝養父母、煩悩消除、寿命長遠、睡眠自除、息災延命、天神随身、諸天加護、臨終不乱の十項目。
なお、この十項目には種々の説もある。
*1みょうえしょうにん = (1173-1232)高山寺開創。
2011年1月14日金曜日
玳皮盞天目茶碗 たいひさんてんもくちゃわん
中国宋代に吉州窯で焼かれた天目茶碗を玳皮盞と称する。
黒褐色の鉄釉の上に黄色い斑文を浮かべる釉調が玳瑁(*1)の皮に似ているところから、この名がある。
鼈甲盞(*2)ともいう。碗の外側は斑文であるが、内側は花文・鳳凰文・木の葉文・文字文などの文様がある。
*1たいまい = 海亀の一種
*2べっこうさん
黒褐色の鉄釉の上に黄色い斑文を浮かべる釉調が玳瑁(*1)の皮に似ているところから、この名がある。
鼈甲盞(*2)ともいう。碗の外側は斑文であるが、内側は花文・鳳凰文・木の葉文・文字文などの文様がある。
*1たいまい = 海亀の一種
*2べっこうさん
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