不用の間、火持ちをよくし火種を絶やさぬために、炉中や火鉢の火を灰で覆っておき、必要に応じて掻き立てる火のこと。
茶人は常釜をかけ、外出時には埋火にして助炭(*1)をかけておくのが心構えの一つとされる。
*1 じょたん
2008年12月19日金曜日
2008年12月12日金曜日
2008年12月5日金曜日
伊木三猿斎 いきさんえんさい
文政元年〜明治19年(1818-1886)。
備前岡山藩主池田侯の家老で、裏千家の茶を学び、自邸内に利休堂の他、十有余の茶室を設ける。
領内に虫明焼(*1)を興し、京都より、仁阿弥道八(*2)、宮川長造(*3)らの陶工を招いて製陶の指導に当たった。
*1 むしあけやき
*2 にんなみどうはち
*3 みやがわちょうぞう
備前岡山藩主池田侯の家老で、裏千家の茶を学び、自邸内に利休堂の他、十有余の茶室を設ける。
領内に虫明焼(*1)を興し、京都より、仁阿弥道八(*2)、宮川長造(*3)らの陶工を招いて製陶の指導に当たった。
*1 むしあけやき
*2 にんなみどうはち
*3 みやがわちょうぞう
2008年11月27日木曜日
2008年11月21日金曜日
2008年11月14日金曜日
一閑張 いっかんばり
漆工芸の一種。木型を使って和紙を漆や糊で張り重ねたものを器胎とした漆器をいう。
軽くて変形せず、ざんぐりした味が保たれる。飛来一閑(*1)の創始と伝えられ、千宗旦が好んだ。
棗・香合・喰篭・棚物などに多い。
*1 ひきいっかん
軽くて変形せず、ざんぐりした味が保たれる。飛来一閑(*1)の創始と伝えられ、千宗旦が好んだ。
棗・香合・喰篭・棚物などに多い。
*1 ひきいっかん
2008年11月7日金曜日
正親町天皇 おおぎまちてんのう
永正14年〜文禄2年(1517-93)。
永禄3年(1560)、毛利元就の献金により即位。在位30年。
戦国乱世で衰微していた朝廷の式典などを整備。豊臣秀吉の宮中茶会で知られ、千宗易に『利休』の居士号を勅賜。
和歌・書をよくする。
永禄3年(1560)、毛利元就の献金により即位。在位30年。
戦国乱世で衰微していた朝廷の式典などを整備。豊臣秀吉の宮中茶会で知られ、千宗易に『利休』の居士号を勅賜。
和歌・書をよくする。
2008年10月31日金曜日
紅葉呉器 もみじごき
呉器茶碗(*1)の一種で、特に釉中に紅色の鹿子斑(*2)が美しく出ているので、紅葉の名が生まれた。
胴部に、指跡や変化があり呉器茶碗中最も美しい。
この手の本歌はもと大徳寺にあったが、秀吉を経て柳営御物(*3)となった。
*1 ごきちゃわん
*2 かのこはん(窯変の一種で、黄色またはピンクの斑点)
*3 りゅうえいぎょぶつ
胴部に、指跡や変化があり呉器茶碗中最も美しい。
この手の本歌はもと大徳寺にあったが、秀吉を経て柳営御物(*3)となった。
*1 ごきちゃわん
*2 かのこはん(窯変の一種で、黄色またはピンクの斑点)
*3 りゅうえいぎょぶつ
2008年10月24日金曜日
2008年10月17日金曜日
2008年10月10日金曜日
2008年10月3日金曜日
2008年9月26日金曜日
2008年9月19日金曜日
名残の茶事 なごりのちゃじ
茶事の一種で、風炉から炉に移る10月の中頃から11月はじめにかけて行われる。
残茶・余波の催ともいう。
口切から1年間使ってきた茶が、残り少なくなるため、茶そのものに名残を惜しむための侘びた茶事である。
残茶・余波の催ともいう。
口切から1年間使ってきた茶が、残り少なくなるため、茶そのものに名残を惜しむための侘びた茶事である。
2008年9月12日金曜日
偕楽園焼 かいらくえんやき
紀州藩主10代徳川治宝(*1)侯の西浜御殿の偕楽園における御庭焼。
文政2年(1819)にはじめられ、治宝侯の死去した嘉永5年(1852)頃まで続けられた。
その間に、楽家10代旦入・永楽了全・永楽保全・仁阿弥道八などの陶工が招かれて作陶に従事した。
*1 とくがわはるとみ
文政2年(1819)にはじめられ、治宝侯の死去した嘉永5年(1852)頃まで続けられた。
その間に、楽家10代旦入・永楽了全・永楽保全・仁阿弥道八などの陶工が招かれて作陶に従事した。
*1 とくがわはるとみ
2008年9月4日木曜日
井伊宗観 いいそうかん
文化12年〜安政7年(1815-60)。名は直弼(*1)。
幕府の大老として米国と通商条約を締結、後に桜田門外の変で暗殺された。
石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、『茶湯一会集』『茶湯をりをり草』などの著書もある。
*1 なおすけ
幕府の大老として米国と通商条約を締結、後に桜田門外の変で暗殺された。
石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、『茶湯一会集』『茶湯をりをり草』などの著書もある。
*1 なおすけ
2008年8月29日金曜日
2008年8月22日金曜日
2008年8月15日金曜日
2008年8月8日金曜日
2008年8月1日金曜日
2008年7月25日金曜日
2008年7月18日金曜日
井上世外 いのうえせがい
天保6年〜大正4年(1835-1915)。
名は聞多(*1)、ついで馨(*2)と改めた。
長州出身で、倒幕運動のリーダーとして活躍。
元老として明治の政財界に重きをなした。
茶湯に親しんだのは益田鈍翁らの誘いによるもので、邸内に東大寺四聖坊八窓庵の茶室を移築。
*1 もんた
*2 かおる
名は聞多(*1)、ついで馨(*2)と改めた。
長州出身で、倒幕運動のリーダーとして活躍。
元老として明治の政財界に重きをなした。
茶湯に親しんだのは益田鈍翁らの誘いによるもので、邸内に東大寺四聖坊八窓庵の茶室を移築。
*1 もんた
*2 かおる
2008年7月11日金曜日
朝鮮唐津 ちょうせんからつ
唐津焼の一種。
天正から寛永年代(1573-1644)頃の所産とされる。
海鼠釉(*1)と黒飴釉を掛け分けにしたもので、土質は赤黒である。
水指や花入が多い。唐津で焼かれ、作風が朝鮮中部の諸窯で焼かれたものの流れを汲むところからの称。
*1 なまこぐすり
天正から寛永年代(1573-1644)頃の所産とされる。
海鼠釉(*1)と黒飴釉を掛け分けにしたもので、土質は赤黒である。
水指や花入が多い。唐津で焼かれ、作風が朝鮮中部の諸窯で焼かれたものの流れを汲むところからの称。
*1 なまこぐすり
2008年7月4日金曜日
ぼてぼて茶 ぼてぼてちゃ
出雲地方(*1)で古くから民間に親しまれた飲茶風習。
大振りの茶碗に茶の花を乾かしたのを番茶のように煮出し、穂と柄の長い茶筅の先に塩を少しつけ、茶を点てるようにして飲む。
泡立てる時にぼてぼてと音を立てるところからの称。
*1 いずもちほう = 島根県
大振りの茶碗に茶の花を乾かしたのを番茶のように煮出し、穂と柄の長い茶筅の先に塩を少しつけ、茶を点てるようにして飲む。
泡立てる時にぼてぼてと音を立てるところからの称。
*1 いずもちほう = 島根県
2008年6月27日金曜日
2008年6月20日金曜日
金森宗和 かなもりそうわ
天正12年〜明暦2年(1584-1656)。
飛騨高山城主 金森可重の長男。
名は重近、号は宗和。
その茶風は『姫宗和』といわれ、特に公家の茶湯に貢献するところが大きい。
陶工 野々村仁清を指導し、優美な作品を作らせた。
飛騨高山城主 金森可重の長男。
名は重近、号は宗和。
その茶風は『姫宗和』といわれ、特に公家の茶湯に貢献するところが大きい。
陶工 野々村仁清を指導し、優美な作品を作らせた。
2008年6月13日金曜日
津田宗及 つだそうきゅう
?〜天正19年(1591)。
安土・桃山時代の茶匠、商家。
屋号 天王寺屋。
父 宗達から紹鴎流の茶を学び、和歌・聞香・刀剣の目利きなどにも長じていた。
織田信長・豊臣秀吉の茶頭(*1)となる。また、北野大茶湯には利休と共に指導役となった。
*1 さどう
安土・桃山時代の茶匠、商家。
屋号 天王寺屋。
父 宗達から紹鴎流の茶を学び、和歌・聞香・刀剣の目利きなどにも長じていた。
織田信長・豊臣秀吉の茶頭(*1)となる。また、北野大茶湯には利休と共に指導役となった。
*1 さどう
2008年6月6日金曜日
2008年5月30日金曜日
2008年5月23日金曜日
2008年5月16日金曜日
箱炭斗 はこすみとり
水屋用の炭斗で、勝手炭斗ともいう。
桑製で手付きの四方形。
席中の炉や風炉の火をつぎ足すために用いる。
道具炭、切炭、香溜を入れて、火箸を手前の手に添えて立て、釜鐶をかけ、他方に板釜敷をかけて羽箒をのせて持ち出す。
桑製で手付きの四方形。
席中の炉や風炉の火をつぎ足すために用いる。
道具炭、切炭、香溜を入れて、火箸を手前の手に添えて立て、釜鐶をかけ、他方に板釜敷をかけて羽箒をのせて持ち出す。
2008年5月9日金曜日
益田鈍翁 ますだどんおう
嘉永元年〜昭和13年(1848-1938)。
名は孝(*1)。三井物産社長。
佐渡奉行所役人の家に生まれ、維新後、三井財閥の形成に尽力するなど明治・大正の財界に重きをなした。
美術品、茶道具を収集、大師会・光悦会などの大茶会をしばしば催す。
*1 たかし
名は孝(*1)。三井物産社長。
佐渡奉行所役人の家に生まれ、維新後、三井財閥の形成に尽力するなど明治・大正の財界に重きをなした。
美術品、茶道具を収集、大師会・光悦会などの大茶会をしばしば催す。
*1 たかし
2008年5月2日金曜日
2008年4月25日金曜日
2008年4月18日金曜日
北向道陳 きたむきどうちん
永正元年〜永禄5年(1504-62)。
本姓は荒木だが、北向きの家に住み、北向と改めたという。
空海より東山流(将軍家茶湯)の茶法を受け、唐物目利きとしても知られたが、門弟の利休を武野紹鴎に推薦し、その弟子とさせた話は有名である。
本姓は荒木だが、北向きの家に住み、北向と改めたという。
空海より東山流(将軍家茶湯)の茶法を受け、唐物目利きとしても知られたが、門弟の利休を武野紹鴎に推薦し、その弟子とさせた話は有名である。
2008年4月11日金曜日
2008年4月4日金曜日
岡倉天心 おかくらてんしん
文久2年〜大正2年(1862-1913)。美術評論家。
アメリカの美術批評家フェロノサのもとで日本美術の復興に努力する。
明治39年にニューヨークで出版した「茶の本」は後に、仏・独などでも翻訳され茶道文化を広く世界に紹介するものとなった。
アメリカの美術批評家フェロノサのもとで日本美術の復興に努力する。
明治39年にニューヨークで出版した「茶の本」は後に、仏・独などでも翻訳され茶道文化を広く世界に紹介するものとなった。
2008年3月28日金曜日
2008年3月21日金曜日
滴翠美術館 てきすいびじゅつかん
三和銀行の前身である山口銀行を設立した山口吉郎兵衛の収集した古美術品を、チカ未亡人が財団法人山口文化会館に寄贈したことから、山口邸を改装して美術館にした。
昭和38年兵庫県芦屋市に開館。
滴翠は吉郎兵衛の雅号。
昭和38年兵庫県芦屋市に開館。
滴翠は吉郎兵衛の雅号。
2008年3月14日金曜日
2008年3月7日金曜日
山里の歌 やまざとのうた
『花をのみ待つらむ人に山ざとの雪間の草の春を見せばや』 = 利休が茶湯の極意として愛誦したと伝えられる藤原家隆の和歌。
紹鴎が「浦の苫屋の歌」を推したのに対して、この歌を利休があげたと『南方録』にみえる。
紹鴎が「浦の苫屋の歌」を推したのに対して、この歌を利休があげたと『南方録』にみえる。
2008年2月29日金曜日
2008年2月22日金曜日
徳川美術館 とくがわびじゅつかん
尾張徳川家に伝来した名宝を展観している美術館。
名古屋市東区徳川町に昭和10年に開館。
数多くの国宝や重要文化財を所蔵するが、国宝の『源氏物語絵巻』が有名。
茶道具では、古芦屋糸目釜・千鳥香炉・白天目茶碗などが知られる。
名古屋市東区徳川町に昭和10年に開館。
数多くの国宝や重要文化財を所蔵するが、国宝の『源氏物語絵巻』が有名。
茶道具では、古芦屋糸目釜・千鳥香炉・白天目茶碗などが知られる。
2008年2月15日金曜日
2008年2月8日金曜日
馬上盃 ばじょうはい
高台部分が立ち上がり、脚状を呈しているもの。
馬上のまま酒を飲むのに、この脚(高台)が握りとなるのでこの名がある。
中国の青磁・白磁など、また朝鮮の三島などにある。
和物では唐津や八代など九州系の窯のものによく見かけられる。
馬上のまま酒を飲むのに、この脚(高台)が握りとなるのでこの名がある。
中国の青磁・白磁など、また朝鮮の三島などにある。
和物では唐津や八代など九州系の窯のものによく見かけられる。
2008年2月1日金曜日
綺麗さび きれいさび
『姫さび』と同じ意味で、華やかなうちにも「さび」のある風情。
また「さび」の理念の華麗な局面のこともいう。
この言葉は特に小堀遠州の好みをさす。
茶陶における遠州伊賀・遠州薩摩・朝日焼などにこの傾向が見られる。
また「さび」の理念の華麗な局面のこともいう。
この言葉は特に小堀遠州の好みをさす。
茶陶における遠州伊賀・遠州薩摩・朝日焼などにこの傾向が見られる。
2008年1月25日金曜日
織田有楽 おだうらく
天文16年〜元和7年(1547-1621)。
織田信長の弟で、利休七哲の一人。
信長の覇業を助け、本能寺の変後は御伽衆として豊臣秀吉に仕える。
晩年は京都に隠棲、茶室「如庵(*1)」を営む。東京の『有楽町』は織田有楽の屋敷跡にちなむ名。
*1 じょあん
織田信長の弟で、利休七哲の一人。
信長の覇業を助け、本能寺の変後は御伽衆として豊臣秀吉に仕える。
晩年は京都に隠棲、茶室「如庵(*1)」を営む。東京の『有楽町』は織田有楽の屋敷跡にちなむ名。
*1 じょあん
2008年1月18日金曜日
2008年1月11日金曜日
白鶴美術館 はくつるびじゅつかん
醸造業者の嘉納治兵衛(*1)の古稀を記念してその収集した美術品をもとに、昭和9年5月、神戸市東灘区に開館。
収蔵品には中国古代の青銅器・古銅器・陶磁器・日本の工芸品などがある。
主に春期と夏期の二季展を開催。
*1 かのうじへえ
収蔵品には中国古代の青銅器・古銅器・陶磁器・日本の工芸品などがある。
主に春期と夏期の二季展を開催。
*1 かのうじへえ
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