横に細長い三畳敷。
豊臣秀吉の黄金の茶室は平三畳であった。
秀吉や津田宗及は平三畳を好んだのに対し、利休は三畳敷の場合、深三畳を好んだ。
平三畳は間口が一間半(*1)で四畳半と共通の構えを保持しているのが特徴である。
*1 約2.7メートル
?〜明治16年(*1)。
名は敦、復堂・桂陰・純叟などと号した。
金沢の茶人で、代々薬種商を営み、嘉永6年(*2)には町年寄となっている。
茶湯は玄々斎宗室(*3)に学び、茶器の収集および鑑定に長じ、当時、大阪の平瀬露香と併称されたといわれる。
*1 1883年
*2 1853年
*3 げんげんさいそうしつ=裏千家11世
江戸時代、浅草で漉いた塵紙のこと。
楮皮(*1)の削りかすを利用した粗末な紙であるが、都会では反古(*2)類を集めて漉き返していた。
色の黒い粗悪なものを黒保(*3)、石灰を混ぜて白くしたものを白保(*4)とよんだ。
大量の需要があり、台東・江東・文京区に製紙圏が広がっていた。
*1 ちょひ =こうぞの皮
*2 ほご = 手紙、暦、古書物などで不用になった紙
*3 くろほ
*4 しらほ
露地の飛石の上に置いて、これより先へは通らないようにという標識とする石。
普通、径十センチ内外の丸みのある石に、蕨縄(*1)か棕櫚縄(*2)を十文字にかけ、上部の結び目を少し余すようにする。
関守の役目をすることから、関守石ともいう。
*1 わらびなわ
*2 しゅろなわ
播州赤穂で造られた陶器。
鋳物師大島黄石が、嘉永初年(*1)頃、江戸今戸焼の土風炉師作根弁次郎に陶法を習って始めたものと伝える。
無釉・磨光・焼締の焼膚に煙による窯変を表した雲華焼を得意とした。ほかに楽焼や交趾写なども手がけている。
*1 1848
懐石中で焼物や煮物など一汁三菜以外の料理を、鉢に入れて持ち出し、連客に自由に取ってもらうべく預けておくゆえに預鉢という。
また客側からとって頂く意味での「取り肴」、酒を勧めるための魚菜としての「強肴(*1)」などの別称もこれに類する。
*1 しいざかな
茶を出されれば有難く茶を喫し、飯を供されれば感謝して飯をいただくということ。
人生百般のことの上に置いて、その時その場の与えられた諸条件に、主体的にしかも無理なく、無心に即応し、少しの執着もなく生きる大禅者の境涯を、茶と飯に託して表現した句。