?〜明治16年(*1)。
名は敦、復堂・桂陰・純叟などと号した。
金沢の茶人で、代々薬種商を営み、嘉永6年(*2)には町年寄となっている。
茶湯は玄々斎宗室(*3)に学び、茶器の収集および鑑定に長じ、当時、大阪の平瀬露香と併称されたといわれる。
*1 1883年
*2 1853年
*3 げんげんさいそうしつ=裏千家11世