躙口(*1)に対して障子を建てた特に身分の高い客のための出入口である。
一般に、引き違いの腰付障子二枚を建てるが、高さは五尺七寸が通例で、昔はそれよりも低い寸法でつくられている。
大徳寺聚光院枡床の席には、四尺二寸五分という低い実例をみる。
*1 にじりぐち
2012年5月18日金曜日
銀閣寺形手水鉢 ぎんかくじがたちょうずばち
袈裟形手水鉢の一種。
名前の由来は、銀閣寺の方丈と東求堂との間にあることから。
方形の四方四面にそれぞれ異なった格子文様が彫り出され、斬新な造形感覚をもつ。
上部の水溜めは円形で、足利義政が好んだとされる。
模索も極めて多い。
名前の由来は、銀閣寺の方丈と東求堂との間にあることから。
方形の四方四面にそれぞれ異なった格子文様が彫り出され、斬新な造形感覚をもつ。
上部の水溜めは円形で、足利義政が好んだとされる。
模索も極めて多い。
2012年5月11日金曜日
吉備団子 きびだんご
岡山の銘菓。
安政三年(1856)に岡山藩家老の伊木三猿斎(*1)のすすめで浅次郎という者が吉備津神社の茶店で売ったのが始まりという。
岡山産の糯(もち)米に黍(きび)を加えた求肥菓子であり、桃太郎伝説と結びついて有名になった。
*1 いきさんえんさい = 文政元年〜明治19年(1818-1886)
安政三年(1856)に岡山藩家老の伊木三猿斎(*1)のすすめで浅次郎という者が吉備津神社の茶店で売ったのが始まりという。
岡山産の糯(もち)米に黍(きび)を加えた求肥菓子であり、桃太郎伝説と結びついて有名になった。
*1 いきさんえんさい = 文政元年〜明治19年(1818-1886)
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