(1771-1853)紀州徳川家第10代。
寛政元年55万5千石を襲封。
藩政の改革につとめる傍ら文学・芸術に大いに意を注ぐ。
茶の修道に励むとともに、当時の名工を招き偕楽園御庭焼(*1)・御庭織を製作させるなど、風流大名の名を上げた。
*1 かいらくえんおにわやき
2010年7月30日金曜日
2010年7月23日金曜日
2010年7月16日金曜日
2010年7月9日金曜日
破れ虚堂 やれきどう
国宝。墨跡。 東京国立博物館蔵。
中国南宋時代末期の禅僧虚堂智愚(*1)が、日本から参禅した無象静照(*2)に与えたとされる法語。
寛永14年、京都の大文字屋で使用人八兵衛の手によって破られたことからこの名がある。
*1 きどうちぐう
*2 むしょうじょうしょう
中国南宋時代末期の禅僧虚堂智愚(*1)が、日本から参禅した無象静照(*2)に与えたとされる法語。
寛永14年、京都の大文字屋で使用人八兵衛の手によって破られたことからこの名がある。
*1 きどうちぐう
*2 むしょうじょうしょう
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