茶事などにおいて、案内により露地の腰掛へ降り用意をして待っている客を、亭主が中門あたりまで出向いて鄭重に迎えること。
また、中立(*3)後などで銅鑼(*1)や喚鐘(*2)などの鳴り物を合図として迎えつけることもある。
*1 どら
*2 かんしょう
*3 なかだち = 2月19日版にて説明
2010年2月19日金曜日
2010年2月12日金曜日
山口吉郎兵衛 やまぐちきちろべえ
明治16年~昭和26年。
わずか4歳で第百四十八銀行の後継者となり、15歳の時山口銀行を設立、大阪実業界に重きをなした。
若年より美術を好み、その研究は専門家を凌ぐと言われた。
現在芦屋自邸跡に山口文化会館・滴翠美術館が開かれている。
わずか4歳で第百四十八銀行の後継者となり、15歳の時山口銀行を設立、大阪実業界に重きをなした。
若年より美術を好み、その研究は専門家を凌ぐと言われた。
現在芦屋自邸跡に山口文化会館・滴翠美術館が開かれている。
2010年2月5日金曜日
菊水の井 きくすいのい
京都室町四条の金剛能楽堂内にあり、武野紹鴎の夷堂の手洗い井戸であったという伝えがある。
また、高台寺の下道、下河原通りにも、ほかに菊水の井と言われる名水があり、三条小鍛冶がこの水で刀を鍛えていたという。
また、高台寺の下道、下河原通りにも、ほかに菊水の井と言われる名水があり、三条小鍛冶がこの水で刀を鍛えていたという。
登録:
投稿 (Atom)