2011年12月23日金曜日

野村得庵 のむらとくあん

明治11年ー昭和20年(1878-1945)。

50代で金融界の重鎮となり、政界においても貴族院議員に勅選され、野村財閥の基をなした。

茶湯のみならず能楽・画技をも習熟した。

南禅寺近くに別邸碧雲荘を構え、しばしば茶事を催した。



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2011年12月16日金曜日

如心松葉 じょしんまつば

京都御所出入りのそば屋だった「井筒屋重久」のそば菓子。

そば切りの残りを工夫して松葉の形の菓子に作ったのが始まり。

表千家七世如心斎宗左が好んで茶菓子に用いたところからこの名がつき、広く知られるようになった。

香ばしい中に淡い甘味がある。

2011年12月9日金曜日

本願寺名物 ほんがんじめいぶつ

摂津国石山本願寺に伝来した名物茶道具を指す。

その後は東西両本願寺に踏襲され現在に至るもの、また入札売立により諸家に分蔵された物も少なくない。

「珠光小茄子」「一文字呉器」「白天目」「末松山盆石」などが著名である。

2011年12月2日金曜日

天下一 てんかいち

天下無双という意味で、特殊技能をもつ諸芸工匠に与えられた名誉称号。

戦国時代から起こり、信長や秀吉の時代に盛んに用いられた。

陶工の樂吉左衛門 常慶や土風炉師の西村宗四郎らは天下一の銘を製品に入れている。

2011年11月25日金曜日

飯後の茶事 はんごのちゃじ

茶事七式のひとつで、「時はずれ」・「菓子の茶」ともいう。

食事後、すなわち朝・昼・夕食のあとに行なう茶事で、菓子のみ、もしくは食事を出すとしても吸物、八寸くらいの極めて簡素なものを出すに留める。

2011年11月11日金曜日

多聞院日記 たもんいんにっき

興福寺の学侶の多聞院英俊(*1)法印の日記。

刊本五冊。

原本は散逸し写本が興福寺に残っている。

社会経済資料としても珍重され、茶湯に関する資料も豊富である。

特に北野大茶会、利休磔刑とその罪因の記事は注目に値する。



*1 たもんいんえいしゅん = 永正15年ー文禄5年(1518-1596)


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2011年10月28日金曜日

玉室宗珀 ぎょくしつそうはく

元亀3年ー寛永18年(1572-1641)。

大徳寺147世住持。

前田利常の帰依を得て大徳寺の芳春院(*1)を創立しその開山となった。

紫衣事件(*2)に関連して沢庵と共に奥州に配流されたが、後に赦免され帰洛した。

千宗旦を知遇し、利休50回忌の導師を務める。


*1 = ほうしゅんいん
*2 = しえじけん 江戸時代初期に起きた、幕府の朝廷に対する圧迫と統制を示す朝幕間の対立事件。


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2011年10月21日金曜日

秋田諸越 あきたもろこし

秋田の名菓。

藩主佐竹候が臣下の労をねぎらうため、煎米を菓子に作らせたのがはじまり。

米粉、小豆粉に砂糖を加え、角型に押し固め、乾燥させて表面を狐色に焼いている。

諸越とは唐土を意味し、唐菓子の伝統を伝えている。

2011年10月14日金曜日

文具飾り ぶんぐかざり

広間の書院窓の前に置く机に文具を飾ることをいう。

硯・墨床・墨・硯屏・筆・筆架・水滴などに料紙を添えて置く。

硯・墨・筆・水滴のみを置く場合は略飾りと称する。

また略法としては硯箱のみを飾る法もある。

2011年10月7日金曜日

降り蹲踞 おりつくばい

地形の下った位置に据えた蹲踞。

飛石を二、三段降って前石に立って手水を使うようになっている。

手水鉢の形状等で、地面を深く大きく掘り下げ、低く手水鉢を据えて面白みを出すこともある。

表千家露地のの点雪堂前に作られたものなどがある。

2011年9月30日金曜日

桂籠 かつらかご

利休が、桂川で出会った漁夫のビクを花入に仕立てたと言われる。

利休秘蔵の品で、少庵・宗旦と伝わり、その後山田宗偏が譲り受けたことを記し、受筒にも宗偏が「桂川」と銘書をしている。


現在は香雪美術館の所蔵となっている。

2011年9月23日金曜日

飛石 とびいし

茶庭において露地口から待合等を経由し、茶席へと客の行く先を指し示す石。

案内の役目を果たすと同時に庭の景観としても重要な要素となっている。

飛石には真・行・草の形式があり、真・行は書院式の茶庭に、草は草庵式の茶庭に使用される。

2011年9月16日金曜日

三斎井戸 さんさいいど

京都北野神社の鳥居内にある、名水の一つ。

北野大茶会に細川三斎が茶席松向軒をこのあたりに設けて、茶の水を汲んだ遺跡であるといわれる。

井戸の周囲に松の根が巻いていることで名高い。

なお松向軒は現在は大徳寺高桐院にある。

2011年9月9日金曜日

売茶翁 ばいさおう

延宝3年〜宝暦13年(1675-1763)。

肥前国蓮池(佐賀市)の藩医の家に生まれ、11歳の時出家して以来長い苦行の旅に出る。

33歳の頃、長崎で清人から煎茶法を学び、晩年に京都東山に通仙亭を構えて煎茶活動に入り、煎茶道の中興の祖と仰がれた。



2011年9月2日金曜日

藪内流 やぶのうちりゅう


茶道流派の一つで庵号を”燕庵(*1)”という。

武野紹鴎の最晩年の弟子である藪内剣仲紹智(*2)を一世として連綿と今日に続く茶家。

代々西本願寺の庇護を受け、書院点前をもって最も古流の姿を保っている。

現在のお家元は13代青々斎紹智。

*1 えんなん
*2 やぶのうちけんちゅうじょうち = (1536-1627)


藪内流のサイトはこちら


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2011年8月26日金曜日

赤星弥之助 あかぼしやのすけ

安政2年~明治37年(1855-1904)。

鹿児島県出身の実業家。

日清戦争に際し大砲鋳造などで巨富を得、茶道具の購入に務めた。

茶湯は裏千家円能斎宗室に学ぶ。

井上世外(*1)の邸宅を買い、たびたび茶事を催した。東山御物などの収蔵品がある。


*1 いのうえせがい =2008.7.28日版

2011年8月19日金曜日

大和文華館 やまとぶんかかん


近畿日本鉄道の社長であった種田虎雄が、昭和21年財団法人大和文華館を設立して美術品の収集を開始。

同35年に近鉄創立50周年記念事業の一環として同鉄道沿線の奈良市学園南に開館。

古代から現代に至る日本及び中国を主とする美術品を収集。


大和文華館のサイトはこちら

2011年8月12日金曜日

藤田美術館 ふじたびじゅつかん

大阪の実業家であり旧男爵の藤田傳三郎とその嫡子平太郎、次男徳次郎による古美術収集品をもとに、大阪市都島区に開館。

父子共に古美術や茶道に対する造詣が深く、収蔵物には茶道具類も多い。

「曜変天目茶碗」などの国宝もある。


藤田美術館のサイトはこちら


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2011年8月5日金曜日

寧楽美術館 ねいらくびじゅつかん

神戸の実業家中村準作、準一、準佑の三代にわたって収集した美術品を展示するために、昭和15年に、名園依水園に付属して設立した美術館。

依水園は8千坪からなり、又隠席写の清秀庵、萱葺の氷心亭といわれる茶室もある。



寧楽美術館のサイトはこちら



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2011年7月29日金曜日

宗匠 そうしょう

もとは教学に優れた僧をいう。

室町時代、連歌の師匠を称したが、将軍家連歌所が北野神社に開設されるにおよんで、その奉行の栄称とされ、連歌師の最高峰として仰がれた。

やがて、茶匠がこれを称し茶道においては家元の尊称となった。


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2011年7月22日金曜日

聖福寺 しょうふくじ

福岡県御供所町に所在する巨刹。

建久6年に将軍源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された。

後鳥羽天皇から日本最初の禅寺であることを意味する「扶桑最初禅窟(*1)」の勅額を賜った。

なお境内に茶を栽植したといわれる。

*1 = ふそうさいしょぜんくつ

2011年7月15日金曜日

石州三百ヶ条 せきしゅうさんびゃっかじょう

石州流(*1)茶湯百科全書。

片桐石州が将軍徳川家綱に茶法「三百ヶ条」(三百の条目)を撰述して献呈したという伝承に基づき、その門弟らが相寄って、これに注釈を施して世に出し、茶道石州流の宝典としたものである。

*1 = せきしゅうりゅう (2010年5月14日版)

2011年7月8日金曜日

坂本周斎 さかもとしゅうさい

京都の糸割符商で、閑事庵・宗信と号した。

茶を山田宗徧に学び、表千家の御道具後見役をつとめて、道具の鑑定と箱書に有名をはせた。

周斎の編纂した名物記は『千家中興名物記』として世に知られている。


《寛文六〜寛延二年》1666〜1749

2011年7月1日金曜日

くらわんか茶碗 くらわんかちゃわん

江戸時代、淀川を往来する船に酒食を売った「くらわんか舟」で用いた粗磁器の普段使いの茶碗。

はじめ伊万里焼染付や砥部焼(*1)の下手物などを使っていた。

その素朴な雅味を称揚し、京都の名工もこれを模造した。



*1 とべやき = 愛媛県伊予郡砥部町の磁器。

2011年6月24日金曜日

宗和流 そうわりゅう

金森宗和が織部流をもとに道安流・遠州流を加味して開いた茶道流派。

宗和が公家茶湯に参仕したので公家との関係が深い。

また二代から加賀前田家の茶頭をつとめた関係で、加賀にも発展し、さらに飛騨、泉州岸和田、名古屋などにも進出している。

2011年6月17日金曜日

田中仙樵 たなかせんしょう

明治8年(1875)〜昭和35年(1960)。茶匠。

今日庵(裏千家)に茶湯を学ぶ。

明治31年、茶道研究機関「大日本茶道学会」を設立し、『茶道学会』を発刊する。

流儀をこえた伝授物の公開の講演を行い、茶道に新風を入れた。

2011年6月10日金曜日

清寧軒焼 せいねいけんやき

紀州徳川家11代斉順(*1)公の和歌山城下湊御殿の清寧軒における御庭焼。

養父の治宝(*2)公の偕楽園焼に倣ったもので、天保(*3)初期から弘化(*4)の初め頃までの12,3年間の焼成と推定される。

楽焼の精巧な物が多く、楽家10代旦入がこれに従事した。

*1 なりゆき
*2 はるとみ
*3 1830 ~ 44
*4 1844 ~ 48

2011年6月3日金曜日

織部灯籠 おりべどうろう

石灯籠の一種。

織部好みと伝えられる形式で、四角形の火袋を持つ活込み形の灯籠。

台座が省かれ竿が掘立式であるところに特色がある。

古田織部は露地に石灯籠を積極的に採り入れると同時に、露地に適した構造を工夫した。

2011年5月27日金曜日

滋野井 しげのい

名水の一つ。

京都中京区にある。

平安時代初期の学者滋野貞主の屋敷内にあったことからこの名があり、洛陽七名水の一つといわれた。

現今では石組の井筒が残り、側に石標が立っているのみの廃井となっている。


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2011年5月20日金曜日

茶詰 ちゃづめ

新茶の季節になると、茶師は注文を受けた茶を茶壺に詰めて密封し需要家に渡す。

濃茶に用いる上等品を茶袋に入れ、そのまわりを薄茶に使用する葉茶で包み込むように詰める。

この茶詰に対して、その壺を開封することを口切(*1)という。



*1 くちきり = 半年ほど貯蔵熟成し、11月の開炉とともに封を切る。

2011年5月13日金曜日

茶壺道中 ちゃつぼどうちゅう

江戸時代、将軍家使用の宇治茶を詰めて御物茶壺を江戸まで運んだ行列道中。

この茶壺運搬の行列は、将軍家・御三家に次いで、大名らを凌ぐ格式の道中とされ、沿道の宿駅や村々の課役は大きかった。

これの恒例制度化は寛永10年(1633)である。

2011年5月6日金曜日

沼浪弄山 ぬまなみろうざん

享保三年〜安永六年(1718-1777)。

万古焼(*1)の創始者。

表千家六世覚々斎門下として茶を学ぶかたわら、茶陶の製作に従事。

宝暦年間江戸へ下り、幕府の御用を命じられる。

伊勢での作品を古万古・弄山万古といい、江戸での作品を江戸万古という。

*1 ばんこやき

2011年4月29日金曜日

根来塗 ねごろぬり

漆塗技法の一種。

鎌倉末期に高野山の僧徒が紀州根来に移った際に、寺で使う飲食器を自ら作ったのが起こりとされる。

黒漆の下塗の上に朱漆で上塗りを施したものと、黒塗りのままの「黒根来」と称されるものがある。

2011年4月22日金曜日

紫野焼 むらさきのやき

文化年間(1801-18)頃に、京都今宮神社門前のあぶり餅屋の主人鶴亭がはじめた楽焼。

「紫ノ」の銘印を捺した茶器を焼いた。

印の文字は大徳寺第418世住持、宙宝宗宇(*1)和尚の書という。

黒楽の茶碗が多く、赤楽は少ない。



*1 ちゅうほうそうう = 宝暦10年(1760) - 天保9年(1838)

2011年4月15日金曜日

茶屋四郎次郎 ちゃやしろうじろう

江戸時代の京都の豪商。

初代清延は三河時代より徳川家康に近侍し政商として活躍。

以後、代々四郎次郎を世襲。三代清次は朱印船貿易で活躍した。

茶屋家は後藤家・角倉家とともに京都の三長者といわれ、茶道具名物の蒐集でも知られる。

2011年4月8日金曜日

淡交会 たんこうかい

社団法人裏千家淡交会の略称。

裏千家の門弟を会員とし、裏千家茶道の基本方針や点前作法を全国的に統一するとともに、その相互親睦を図り、現代に適応する茶人の養成を目的として設立された全国組織。

昭和15年11月に設立。

2011年4月1日金曜日

日本民芸館 にほんみんげいかん

日本各地の民衆的工芸品を収蔵、展観している民芸館。

「民芸」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠として、柳宗悦(*1)らの考えのもとに昭和11年東京都目黒区に開館。

収蔵品は陶磁・染織・木工など多数に及ぶ。

*1 やなぎむねよし= 1889年〜1961年

日本民芸館の公式HP
http://www.mingeikan.or.jp/

2011年3月25日金曜日

喜左衛門井戸 きざえもんいど

国宝。大名物。大井戸茶碗。

難波の町人竹田喜左衛門が所持していたのでその名がある。

後に、松平不昧の所有となるが、古来これを所持する者は腫物を病むといわれており、不昧の夫人が大徳寺の孤篷庵に寄進したと伝えられる。

2011年3月18日金曜日

経筒 きょうづつ

写経を経塚に埋納するための円筒、または六角形の容器で、宝塔形の蓋が添っている。

銅製・金銅製・鉄製・陶製のものがあり、筒身に年紀銘文や仏像を刻んでいるものもある。

経筒は追善供養などの茶会に花入として用いられる。

2011年3月4日金曜日

洞庫 どうこ

茶室の点前畳から亭主が座ったまま道具類の出し入れができるよう勝手付に仕付けられた押し入れ式の棚。

道幸という人の考案ともいわれ、道古・道幸・堂庫・道籠とも書く。

元来、老人などの立居不自由な者が使用する。

2011年2月25日金曜日

法論味噌 ほろみそ

南都名物の味噌。

焼き味噌にゴマ・麻の実・クルミ・サンショウなどを切りまぜて乾燥したなめ味噌。

元興寺(*1)護命僧正の創始と伝えられる。

元興寺は飛鳥寺とも呼ばれ、その付近で製されたので飛鳥味噌ともいう。

初期茶会の料理に多く見られ、近世には奈良の土産物として有名。


*1 がんごうじ

2011年2月18日金曜日

鳩杖 きゅうしょう

頭に鳩の形をつけた杖。

昔、朝臣の慰労のため八十歳の高齢に達すると帯杖を許され、特に鳩杖を下賜された。

”鳩”と”八十(はと)”を通わせて鳩の祝ともいう。

裏千家では高齢者に労りの意で家元が鳩杖の絵の扇面を贈る。

2011年2月11日金曜日

石井の水 いしいのみず

名水の一つ。

京都下京区西塩小路石井町の水薬師にあったが、現在は埋められている。

水薬師の水ともいわれた霊泉で、平清盛の熱病を冷やしたという伝説で名高い。

希薄なからみを帯びることがあることからそのあたりを塩小路というようになった。

2011年2月4日金曜日

青海波 せいかいは

古来より使用されている著名な文様の一種。

半円形の同心円紋を積み重ねた波形紋。

雅楽「青海波」の舞人の衣服に染められているところから出た名称で、陶磁器・染織品・漆器などの文様によく使われている。

2011年1月28日金曜日

石黒况翁 いしぐろきょうおう

弘化二年(1845)ー昭和十六年(1941)。

医学者。男爵。

軍医総監、貴族院議員、枢密顧問官、日本赤十字社社長を歴任。

遠州流小堀宗本に師事、茶の湯を嗜み、明治・大正・昭和初期の茶道界の長老の一人であった。

2011年1月21日金曜日

茶の十徳 ちゃのじゅっとく

茶の効用を説いた十ヶ条。

明恵上人(*1)が、芦屋釜に十徳を鋳込んだという伝えがある。

諸仏加護、五臓調和、孝養父母、煩悩消除、寿命長遠、睡眠自除、息災延命、天神随身、諸天加護、臨終不乱の十項目。

なお、この十項目には種々の説もある。


*1みょうえしょうにん = (1173-1232)高山寺開創。

2011年1月14日金曜日

玳皮盞天目茶碗 たいひさんてんもくちゃわん

中国宋代に吉州窯で焼かれた天目茶碗を玳皮盞と称する。

黒褐色の鉄釉の上に黄色い斑文を浮かべる釉調が玳瑁(*1)の皮に似ているところから、この名がある。

鼈甲盞(*2)ともいう。碗の外側は斑文であるが、内側は花文・鳳凰文・木の葉文・文字文などの文様がある。

*1たいまい = 海亀の一種
*2べっこうさん

2011年1月7日金曜日

大服茶 おおぶくちゃ

新年の祝儀の茶で、「大福」とも書く。

大服とは元来、茶を多量に点てることを言うが、「服」が「福」に通じるところから祝儀の茶とされた。

近衛家煕(*1)の邸では、正月七日に嘉例の「大服ノ御茶湯」があったことが、槐記(*2)に残されている。

*1 このえいえひろ = 予楽院 (1667-1736) 摂家公卿。
*2 かいき = 近衛家煕の侍医 山科道安が、家煕の言行を収録したもの。